コミュニケーションとは演技である。

というと語弊があるかも知れないが、概ね間違っていないと思う。少なくとも誠意のある丁寧なコミュニケーションの大半は演技である。但し、そこに悪意はない。むしろ優しさが詰まっている。演技という言葉が誤解を与えているかも知れないが、相手を思う気持ちがあり、相手に何を伝えたいか、相手をどこまで理解したいか、そのためにどう振る舞えばよいか、それを突き詰めていった先で行われるコミュニケーションは、最高難易度の演技である。ベストパフォーマンスをしなければならない。ここでいう演技は嘘やいい加減な芝居ではなく、真剣そのものの演技だ。先ほど、優しさが詰まっている、と書いたが、場合によっては、安定や妥協の類いかも知れない。妥協というとまた印象が悪いが、自分の都合ばかりを主張していたら、まったく優しくないし、安定もしない。妥協というのはコミュニケーション、つまり、自分と他者との関係性において、必要不可欠な要素といえる。妥協のないコミュニケーションは、明確な主従関係であり、支配である。支配については思うことがあるが、また別の機会に譲る。大切なのは妥協するタイミングと内容で、妥協をしなければ早晩その関係は破綻するだろうし、妥協ばかりしていてもまた同様ではないだろうか。閑話休題。両者が互いに最高の演技をしているのだとしたら、それはきっと最高の状態だと思われる。幸福な瞬間であろう。そもそも最高の演技をしようと思ったら、真剣でなければ成立し得ない。頭も体も使うのだ。真剣に臨まなければ失敗する。だから、たいていのコミュニケーションはうまく行かない。行き違いが起きる。演技が中途半端なのだ。だいたい人間がふたりいれば、主義主張や好き嫌いなどは全然違うのだから、本心でぶつかり合ったらうまく行かないに決まっている。大切な相手と大切なコミュニケーションをするのであれば、演技することを悪しきことと捉えず、真剣に演技しよう。

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